がんばれ!沖原!「きょうぶろ」エントリー |
みかんの国で生まれた奇跡のV戦士。意外にも巧打者な・・・オッキー
タイガースの癒し系。
矢野選手言うところの、タイガースの井川遥こと沖原選手。
しかしこれほどドラマチックな選手は・・・
大好きです。
ヒッティングマーチは
「Let's Go Let's Go 沖原 ここで一発ホームラン
Let's Go Let's Go 沖原 命をかけろ 」
そうです。命かけてやってます。
何しろタイガースに入団したのは、4年前28歳のときです。
「遅咲きの苦労人」
この言葉がこれほどぴったりと来る選手はほかにいません。
さて沖原選手の生い立ちを簡単に紹介しましょう。
小学校2年生でリトルリーグ入団。
4年生にして、チーム3軍から一気に1軍へ。
ピッチャーとショートをこなすが、西日本大会ではショートを守る。
6年生のときに「キャプテン翼」に憧れ一時サッカーに浮気するというお茶目な面を持つ。
高校は名門西条高校へ進学、2年生で選抜出場も悪しくも2回戦敗退。
大学は亜細亜大学へ進学し、2年生からレギュラー獲得。
4年生では、なんと打率.417で首位打者に輝く。
普通はここでプロ入りになるのですが、なぜかNTT関東(東日本)へ就職。
翌年アトランタオリンピック代表に選ばれるが、うっかり寝違えて代表辞退に(ほんとです、この頃から人知れず苦労人の道へ)
シドニーオリンピック代表に再度選ばれると、予選から全試合にショートでスタメン出場。
本大会ではプロとの混成チームにもかかわらず出場を果たし、2本のホームランを含む打率.314をマーク。
このときの活躍が”あの”野村監督に認められ、ドラフト6位指名でタイガース入団。
入団時背番号は8番。
(契約金7000万、年棒1300万円)
プロ入り1年目は、3月30日にいきなりスタメンで初ヒットを放つも、3対17で巨人に敗れる。
その後ホームランを打ったりと活躍するも、4月には中指骨折(あらら・・・)
復帰戦の7月の試合ではなんとタイムリーを放つ。
1年目の打率は.197 ホームラン4本。
プロ2年目は打率.248と上がってはいるものの、試合数は1年目より8試合へって63試合。
可もなく不可もなく・・・
さらには片岡選手の入団で背番号剥奪。5番に変更。
プロ3年目の2003年。
ついに沖原選手に人生最大のビッグチャンス!
チャンスに強い代打の切り札として、タイムリーを連発!
スタメン出場した7月12日には、5打数4安打、3打点はバックスクリーンへのホームラン付でお立ち台ゲッツ!
運命の9月15日、甲子園球場での夢の胴上げ試合でも今岡選手に代わって先発しタイムリーを放つ。
ついに優勝という夢をつかんだ!
この年の打率は.341
そして4年目の2004年には、開幕1軍スタートも誕生日前日の7月26になぜか2軍落ち。
またしても苦労人生活に・・・・
しかしウエスタンではさすがに実力が違います。
打率.403としてシーズンを終了。
プロ入りしてたった4年なのにすでに32歳とベテランクラスの年齢ですがまだまだ若手の沖原選手。
まさに人生波乱万丈。
そんな沖原選手を今年も応援して行きたいと思います。
今年もウエスタンで会えるのかなぁ・・・・・
(沖原選手過去の新聞記事)
僕のリトル時代
シドニー五輪で県人活躍 沖原、プロ選手しのぐ成績愛媛新聞
スポーツ新聞HP掲載記事(2003-4年)
2002年以前 アマチュア時代のものもあります
(なんと姓名判断まで)
沖原 佳典 姓名判断
”意志強固で、いかなる困難にも負ける事のない、忍耐力と実行力の持ち主です”だそうですが・・・・
あたってます。
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